にじ333号

あけましておめでとうございます

皆さまよいお年をお迎えのことと思います。令和で迎える初めての新年、そしてこの会報もサンサンサンと輝く333号を迎えました。
令和元年は、気分一新、新しい元号への期待も大きかったのですが、台風や大雨など多くの災害に見舞われた一年となってしまいました。未だ不自由な思いをされている方々に、心からお見舞い申し上げます。
新たな年、2020年は、災害の無い、穏やかな年であってほしいと思います。そして、オリンピック・パラリンピックも開催されますから、笑顔あふれる明るい年になるように願っています。
にじの会も、ボランティア全員で力を合わせて、これまでの活動を着実に続けていきますので、皆さま今年もご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
クラブ活動をはじめ、諸行事に多くの方が参加くださいますようお待ちしています。
また、この会報にも感想・ご意見等、ぜひ投稿をお願いいたします。

※ 福島市の小野祥一郎さんからいただいた文章を掲載させていただきます。これまで挑戦したこと、人生を振り返って記憶に強く残っていることなどなど、皆さまもぜひお寄せください。お待ちしています。

プログラミングの思い出
福島市 小野祥一郎
私は平成4年にC言語によるプログラミングの独習を試みた。誰一人教えてくれることのない知らない領域に点訳本を頼りにとびこんだ。そういう意味で点訳ボランティアのKさん(にじの会)には大変感謝している。ご自分でプログラミングして動作確認して点訳するという、いま考えても驚くようなすばらしい点訳のおかげである。
私は、当時40歳を超え、記憶力が衰えてきているうえに、集中力が乏しく一時記憶が乱されやすい体質であったため、ほとんどは夜中の学習と演習であった。
はじめは小さなソフトをいくつか作った。パソコンのビープ音の高さを変えて、聴力検査ができるソフトを作った。自分だけで行ったが、私の右耳の8000から1万サイクル間が聞こえが良くないことを発見した。そのほか簡単な会計処理や統計処理をするソフト、視覚障害があっても楽しめるゲームをいくつか作った。
これらを通して感じたのは、思うように動いたときは大変な快感を得ることができるということである。エラーが出ている間はつらいが、もともと人は間違いをする動物だと覚悟しているからそんなに腹は立たない。
ただ画面を見渡せない視覚障害なので、エラー処理は面倒である。しだいに実際にプログラミングを記述する前に、頭の中だけで組み立てて動かしてみてうまく動きそうだなと確信してから記述するようにした。
平成6年に、視覚障害者が独り歩きするときの判断を疑似体験するソフトを作ろうと思った。道路にあるいろいろな障害物に関する情報を処理しながら進む必要がある。これを危険を伴う可能性がある実際の道路で実施する前に、バーチャルで訓練するソフトである。歩くときに最も重要な情報は始点からの距離と方向である。しかもこの二つの情報は交差点で再スタートする。あらゆるほかの情報に対処しながら、方向と距離という歩行にとって重要な情報だけはきちんとカウントし続ける練習をする必要を感じた。
道路を設定してそこを歩く体験をシミュレートするにはどうしたらいいのだろうか。頭の中で様々に作りながら悩んだ。
ソフトのコンテンツを組み立てる方法にツリー構造がある。これは大きなメニューから細かいメニューに、そしてさらに細かいメニューに進んでゆくやり方である。細かいとは重要ではないという意味ではない。どうしてこれがツリーなのかというと、下へ下へと枝を広げてゆく姿がツリーなのである。はじめはよく納得できなかった。ツリーは下から上に太陽に向かうという地球人の認知バイアスが邪魔していることに気づいた。
そこで歩くことについての認知バイアスを外してみた。考え方を全く逆転して、たった1歩の中に全ての道路や交差点があると考えた。そうしたら不思議なくらいすらすらとソフトを記述することができた。このソフトを使用した全盲生への歩行指導は、論文としてまとめて発表した。
私が疑問なのは、25年も前に、40歳過ぎで視覚障害があっても少しはプログラミングはできると公表したのに、どうして健常者の方々がプログラミングをあまりやらなかったのであろうということである。若い方たちがどんどん参入していれば世界からこんなに差をつけられなかったのではないか。
今頃になって小学生にプログラミングを教えろとか耳を疑う指示がだされている。そもそも子供は大人の背中から学んでゆくのだ。大人たちがまずプログラミングを学び、アルゴリズムの重要性を理解するべきであろう。
ただ日本語を母国語とする人は私を含めて英語で記述されるソースコードには苦手意識が伴う。忖度しながら判断する生活と、きちんと明確な課題を論理的に展開することが日常である生活とでは条件としてスタートから不利であることは間違いない。
感受性を共感しあい、気持ちを思いやりながら暮らす日本人の生活は、ここちよくすばらしい文化である。だが、相手によっては論理的にはっきりした対応が絶対必要なのである。

1月のヨーガ教室

1月のヨーガ教室は、22日(水)10:00~
12:00です。初めての方も大歓迎です。参加される方は事務局までお申し込みください。2時間で気持ちも体もすっきりしましょう!

バザーへのご協力ありがとうございました

天候にも気温にも恵まれ、多くの方に参加いただきました。毎年、開店時の行列が長くなる一方で、皆さまのパワーに圧倒されます。少しずつ、レイアウトにも工夫を凝らし、少しでも多くの方が希望する品を手に入れることができるように考えています。今回は出品してくださる方のご協力のおかげで、野菜や果物から手作り品までバラエティに富んだ品々を揃えることができました。
そして、アフターバザーも含め、40万円を超える売り上げがありました。皆さまのご協力に感謝して、大切に使わせていただきます。ありがとうございました。今年もご協力をよろしくお願いいたします。

福島市第31回ふれあいのつどいに参加しました

障がい者週間(12月3日~9日)を記念して福島市で毎年開催される「ふれあいのつどい」に、にじの会では、フラサークルにじ、ミュージックベルが日頃の練習の成果を発表し、チャレンジクラブは「吾妻の雪うさぎ」と題した指編みと使い古しの点字用紙を用いた作品を出品しました。そして、ボランティア会員は一般の方へ向けた点字しおりづくり体験コーナーに参加しました。多くの市民の方が来場され、にじの会の活動を知っていただくことができました。チャレンジクラブの作品は、3年連続で福島市長賞を受賞しました!

短歌・俳句・川柳

佐藤哲哉さん(福島市)
初もうできらきらしてる令和顔

矢島秀子さん(南相馬市)
一匹のテントウ虫に導かれ
彼の仲間は朽ち木の祠に

穴沢勲さん(会津若松市)
再会に握手を交わしホッとする
仲間に感謝そしてサンキュー

三浦寛さん(国見町)
義母(はは)命日雪虫飛んでると妻が言う
けむりの中で想い出たどる

小板橋順二さん(猪苗代町)
浜の寺梅の香ほのか日はうらら
雪の里にて吾は春待つ
谷田川正さん(郡山市)
平成に令和リンクのこの年は
国政乱れ台風暴る

清野隆一さん(郡山市)
降る雪は上る湯気にて雨となり
我が身を洗う除夜のねぎらい

宮崎英幸さん(福島市)
団栗(どんぐり)の散りぼふ階段(きざはし)上り終へ
座像の地蔵を屈まりて撫づ

保健所見学
福島市 宮崎英幸
中核市となりて設けし吾が町の
保健所訪ふウォーキングに
「ももりん元気だナイン」のキャッチフレーズの
保健所より説明を受く
保健所と子ども未来を柱とし
「安全・安心な町」をめざすと
放射線健康管理と言ふ聞きて
3・11の日を思ひ出づ
地区ごとに健康増進の町づくり
起ち上がりしと担当者言ふ

坂下さんの 「私のおすすめ」

『人間臨終図巻 上・下』山田風太郎著・・・最近終活という言葉を頻繁に耳にします。よくよくその話を聞ききますと何のことはない、従来言われてきました老いじたく・死にじたくのことでした。
昭和20年代前半に誕生した所謂団塊の世代、その突出した人口比率を占める人たちが後期高齢者と呼ばれる世代を迎えての右往左往。ここに来て騒がしくうろたえている、一つの社会現象なのでしょう。長寿社会・延命治療・緩和ケア・安楽死・尊厳死、そのあげくにはぽっくり寺への老人会そろっての集団参拝。いやはやなんとも賑やかなことです。
人間とはこの世に誕生した限りは、いつの日にか必ず衰え死にゆくものです。それは絶対的な事実であり、一切の例外はありえません。しかしどのようにして自らの人生を閉じ、そして死んだ後はどのようになるのでしょうか。有名・無名に関わらず多くの人々の心を騒がせ悩ませてきた事柄でもあります。
日本では平安時代に編まれた、極楽浄土に往生した人々の伝記を集めた書物が知られています。「日本往生極楽記」「続・本朝往生伝」、そのほかにも多くの仏教説話が残されています。これらの書物の中には、聖徳太子をはじめとして、皇族から僧侶・名も無き一般庶民にいたるまでの物語数十編が編まれています。
そして今回取り上げましたこの書物。著者は古今と東西に渡り多くの実例を収集し、英雄・武将・政治家・作家・芸能人・犯罪者たちが示す人間終末の有様を赤裸々に描き上げてゆきます。
その中の幾つかをご紹介しましょう。
八百屋お七:1683年(天和3)、15歳、火あぶりの刑。江戸中期、本郷町の八百屋の娘。寺小姓・吉三郎に恋い焦がれ、逢いたさの余りに放火。度重なる火災に悩まされていた江戸奉行所は、いたいけな町娘の所業とはいえ重罪を見逃すわけには行かなかったようです。15歳の死罪は江戸時代を通しても例外中の例外であったようです。
ジャンヌ・ダルク:1431年、19歳、火あぶりの刑。英仏100年戦争後半。劣勢に立たされたフランス軍、神の声を聞いた16歳のフランス人少女は白馬にまたがり軍の先頭に立ち、英軍を撃破。しかしまもなく、その英軍に捕らえられ魔女裁判にかけられ、群衆の見物する前で火刑に処せられました。その胸にかけられた札には「虚言者・毒婦・世人を惑わせた女・神を汚せし女・驕慢のもの・残虐淫乱の女・異端のもの…」と、まさに罵詈雑言です。中世ヨーロッパ・暗黒時代。現代とは全く異質の時代とはいえ、その内容はおぞましいとしか言いようがありません。
滝廉太郎:1903年(明治36)、24歳病没。「荒城の月」「箱根八里」「鳩ぽっぽ」「もういくつねるとお正月」など、日本の音楽史に残る不滅の大作曲家と言ってよいでしょう。早くからその才能を開花させドイツへ国費留学。しかし、病弱な体質のために早世。その遺品には未発表の多くの作品が残されていたと言われています。「兄がこのように皆様に惜しまれるとも知らずに、母が全て焼き捨ててしまったようです」と後年残された妹さんが語っていたようです。惜しみても余りある話です。
良寛和尚:1831年(天保2)、73歳病没。江戸後期、曹洞宗の僧侶。越後の人。諸国を行脚し、生涯自らの寺を持たず。独自の枯淡な境地を和歌・書・漢詩に表現しました。何よりも子供たちと手鞠に興じ春風のような転身無垢な生き方。その有様は良寛様に心を寄せ続けた貞心尼の手により編纂され、今に伝えられています。老齢を迎え、衰えた晩年は貞心尼の手厚い介護により死に水が取られたといわれています。「裏を見せ表を見せて散るもみじ」(辞世)
一休宗純:1481年(文明13)、87歳病没。鎌倉時代中期、臨済宗の僧侶。今では、とんち小僧として、子供たちには大変な人気者です。当時の仏教界の堕落腐敗をののしり倒し、自らは戒律など知らぬげに八方破れの破天荒な生活。晩年は美しい盲目の女性・森(しん)に心を通わせ「極楽はそなたの他にはない、そなたの恩を忘れたらわしは死後畜生の身に落ちるだろう」とまで語り、心を寄せ感謝していたと言います。そして寂滅するときには「死にとうない、死にとうない」・・・仏の道に生涯をかけた和尚の言葉にお弟子さんや取り巻きの人たちも慌て、途方に暮れたと言います。人間の煩悩とは、簡単には解脱できないものなのでしょうか。
いやいや、まてまて! これも一休和尚・悪たれ和尚、最後の最後、今際の際にやらかしてくれたとんでもないいたずらではなかったのでしょうか。(点訳・音訳あり)

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特定非営利活動法人にじの会


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