にじ355号

『請戸小学校物語』を点訳

東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた浪江町立請戸小学校が、震災遺構として保存されることになり、10月24日から一般公開されています。
にじの会では、請戸小学校の3・11当日の様子を描いた絵本『請戸小学校物語 大平山をこえて』(A5判 40ページ)を、制作に携わった方からのご依頼により点訳しました。
浪江町立請戸小学校は、海から約300mの距離にあり、津波が押し寄せるまで約50分の時間しかありませんでした。そのとき学校に残っていた83人の児童と先生は1km以上先の大平山まで、車いすの子や低学年の子を全員で助けあいながら一人の犠牲者も出すことなく避難しました。
2階建ての請戸小学校は、津波が2階の床まで押し寄せ、1階部分は天井や壁がはがれ、教室内のほとんどが流出したそうです。避難が遅れていたら大変な被害になるところでした。
小学校の日常生活の様子と大地震の揺れの大きさ、地震が来たらすぐに避難すること、日頃から大平山のような避難先を意識していること、先生たちが途中で迎えに来た親にばらばらに児童を引き渡すことなく、全ての児童を引率して避難した判断力・責任感など、この絵本から多くのことを感じ取ることができます。
にじの会では、絵本の点訳のほか、点字版をタックペーパーで作成し、A4判に拡大した絵本に貼り付けたものも製作しました。この点字が付いた絵本も震災遺構の展示品に加えられるとのことです。
3・11から10年以上が経過、当時避難した児童のなかには社会人になり、伝承館の職員として当時の様子を伝える仕事に携わっている方もおられるとのことです。
タックペーパーを貼った『請戸小学校物語 大平山をこえて』が、震災遺構を訪れた点字を読まれる方に少しでもお役に立てればと思います。(点訳書は、全1巻 30ページ、サピエ図書館に登録)

※「にじ」352号でご紹介した「目の不自由な人をよく知る本」の点訳も完了し、サピエ図書館にデータを登録しました。(全3巻 336ページ)

今年は冬もウォーキング!

例年は、ウォーキングを11月で終了し、12月~3月は、ヨーガ教室を行ってきましたが、今年度は、冬期間もウォーキングクラブを継続します。ヨーガ教室は今年度はお休みします。
ウォーキングクラブでは、真夏の暑さも工夫して歩きましたので、冬期間も、各自、寒さ対策を十分にしていただきながら、運動不足の解消を目指したいと思います。吹雪、積雪などの悪天候時には、サポートセンター内で軽い運動を行ったり、ミュージックベル体験などをして過ごします。
ウォーキングクラブでは、いつでも新たなクラブ員をお待ちしていますので、関心のある方はご参加ください。また、クラブ員のかたは、欠席の際には忘れずに事務局にご連絡ください。

※ ミュージックベルクラブ、チャレンジクラブ、パソコンクラブ、フラダンス、サウンドテーブルテニスも、新たな参加者をいつでもお待ちしています。体験してみたい方もお申し込みください。また、一緒に活動するボランティア会員も募集していますので、関心のある方は事務局にご連絡ください。

点字の学習もお手伝いしています

にじの会では、点字を触読したい方のお手伝いをしています。中途で視覚障害になった方で点字を覚えたい方に、ボランティアが1対1で触読のお手伝いをします。その方のペース・目標にあわせ、ゆっくり、じっくりとお手伝いしますので、点字の触読を習得したい方、そのような方をご存じの方はにじの会までご連絡ください。
点字を覚えるのは難しい、至難の業・・・そのようなイメージをお持ちの方もおられますが、今では普通サイズよりちょっと大きい点字もあり、にじの会で点字を習得した方で、点訳書を楽しんでいる方もいます。音声デイジーによる読書とあわせて、文字で読む楽しさも増えます。
目的は読書だけではありません。町の中や日用品、食品容器などにも点字表示がありますし、市役所や選挙管理委員会などからのお知らせ封筒にも点字が書いてありますので、それが読めるだけでも生活が異なってきます。またちょっとしたメモ、友人や公的機関の電話番号を聞いたときに、点字でさっと書いておくことができれば、便利です。
この20年で、にじの会で点字を習得した実人数は50人を超え、点字学習をきっかけに外出の楽しみも増えたとの声もお聞きします。期限はありません、納得のいくまで学習できます。
ルイ・ブライユが視覚障害者の文字である点字を考案してから2025年で200年になります。そのときまでに、点字を読めるようになってみませんか。

短歌・俳句・川柳

柳沼友治さん(郡山市)
路地裏を明るく染めん秋桜

菅野康男さん(福島市)
ナシ探し自販機巡りウォーキング

薄井セツ子さん(福島市)
フラダンス笑顔も添えてハイポーズ

穴澤勲さん(会津若松市)
見つめ合いあなた好きよと手を握り
胸がドキドキ戻れ青春

矢島秀子さん(南相馬市)
できないを出来るにかえるその勇気
感動渦巻くパラリンピック

清野隆一さん(郡山市)
散歩人夜明け間近の静けさを
歩きシャリシャリ落ち葉ブラウン

小板橋順二さん(猪苗代町)
大河ドラマ訛りなつかし故郷の
利根で遊びし友ら元気か

谷田川正さん(郡山市)
国民の期待背負いて新総理
議員閣僚の資質浄化へ

三浦寛さん(国見町)
ご満悦91歳EV車
音なし車に白杖(しろつえ)まよう

お知らせ

●国税庁発行『私たちの税金 令和3年度版』の点字版、音声デイジー版、墨字版が届きました。点字版・音声デイジー版は貸し出しいたします。ご希望の方は事務局までどうぞ。また墨字版はセンターで閲覧できます。

●今年度の点字講習会(腰の浜会館主催)は、福島市に蔓延防止等重点措置が適用された期間だったため、開始が1ヶ月延期され、10月6日(水)~2022年3月9日(水)となりました。10月からは、講習会が始まっています。

坂下さんの 「私のおすすめ」

『九人の乙女 一瞬の夏「終戦悲話」樺太・真岡郵便局電話交換手の自決』川嶋康男著・・・昭和20年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送により、ポツダム宣言が受諾され、全面講和・大東亜戦争は終結を迎えました。
しかしソビエトは相互不可侵と相互中立を定めた、日ソ中立条約を犯し日本への攻撃を加えてきました。満州への侵略、さらには日本国領土の樺太への侵略、その最終目的は武力による北海道の占領でした。国際法を踏みにじるそれらの軍事作戦は看過できるものではありませんでした。
夢にまで見た父母や妻子の待つ故郷への帰還。その全てを封じ、帝国陸軍・峯木(みねき)十一郎(といちろう)中将に率いられた、樺太第八十八師団。そして陸海軍の将兵たちは、再び武器を取り、祖国防衛のためにソ連との戦いに突入していったのです。それによってこそ、北海道占領という暴挙が阻止され今に至っていることを忘れてはならないでしょう。
時々刻々、めまぐるしく動く戦場の有様を樺太の住民にそして内地の関係部局へと的確・正確な情報として伝える通信手段を維持し、守備継続することは喫緊の課題でした。その主たる任務に就いていた人たちこそが、当時10代後半から20歳代の真岡郵便局電話交換手の娘たちだったのです。ソ連の機関銃弾は局舎を貫通し、艦砲射撃も苛烈を極めるまでに至りました。女性職員への退避命令が繰り返されました。しかし最後に眼前に迫ったソ連の有様を伝え、祖国への惜別を打電。「大和撫子、生きて辱めを受けず」
9名の娘たちは青酸カリを服毒し自決。この有様は戦後、各種報道機関により大きく取り上げられました。いわく、日本軍による職務続行と自決が命令された結果である、左翼活動家による世論の誘導であった、明らかな政治目的による扇動的かつ虚偽の情報であった・・・等々。複数の生き残り職員により、それらのデマ宣伝はことごとく否定され、醜くゆがんだ政治宣伝は潮が引くように沈黙の世界へ消え去って行きました。
人生で最も多感な娘たちの胸に去来したであろうことども、察するに余りあるものがあります。指揮命令によってこそ維持される電話通信手段、当時の局長職にあった上田(うえだ)豊三(とよぞう)氏は、その後の人生を通じて責任を問われ続けました。
昭和40年代、「氷雪の門」として映画化されました。しかし、作品発表と同時に、親ソの立場を取る人々やソビエト大使館の激しい攻撃にさらされ、上映活動は粉砕されたのです。
現在、北海道・稚内市には当時の樺太住民の犠牲者とともに9名の娘たちの霊魂を慰めるために、鎮魂碑「氷雪の門」が建立され、静かに地元の人々により守り、祈り続けられているのです。(点訳あり)

お問い合わせ先

特定非営利活動法人にじの会


〒960-8074
福島市西中央2丁目23-1
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FAX:024-529-7031

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