にじ340号

6月から、換気などに注意しながらの活動が始まりました。サウンドテーブルテニス(二人ずつ交代)、チャレンジクラブ、点字学習、パソコンクラブ、ミュージックベル、フラダンスなど、恐る恐るの活動ではありますが、フラダンスの曲が流れたり、ミュージックベルの演奏が聞こえたりすると、サポートセンターの建物が生き返ったようです。4月・5月の事務局員だけの活動は、感染拡大防止のため仕方がないとはいえ、やはり寂しいものでした。
7月から、一度に2~3組に限って見ていただく、ひっそり、ゆったりバザーを行っています。じっくり落ち着いて選べると好評です。サポートセンターを利用される方、ボランティア、関係者に限っての開催ですが、12月まで品物を交換しながら展示しています。 このような開催は今年だけにしたいと強く思います。終息を願うと共に、私たち一人一人も十分に気をつけながら、来年はこれまで通りのバザーや小旅行・交流会を開催できるようにしたいものですね。

後期高齢者医療被保険者のみなさんへ 被保険者証更新のお知らせ

後期高齢者医療の被保険者証は、毎年8月1日に更新することになっております。
7月中にお住まいの市町村から、新しい被保険者証をお送りしますので、8月1日以降に医療機関で受診をする際には、必ず新しい被保険者証(ピンク色)を窓口にお出しください。
なお、今までお持ちの被保険者証(オレンジ色)については、8月1日以降、なるべくお早めに、お住まいの市町村の後期高齢者医療担当課まで返却いただきますようよろしくお願いいたします。
また、視覚障がいをお持ちの方の被保険者証に点字シールの貼付を希望する場合は、被保険者証を持参のうえ、お住まいの市町村の後期高齢者医療担当課にお申し出ください。

お問い合わせ先:
お住まいの市町村の後期高齢者医療担当課
または 福島県後期高齢者医療広域連合事務局
電話 024-528-9025(代表)

プレクストークPTR3、PTN3にスロットイン型ドライブを限定供給

シナノケンシからのお知らせです。PTR3・PTN3の、CDをトレイに載せるタイプのドライブが使用困難な方に、PTR2で使われていた型(スロットイン型)のドライブを修理対応に限定して供給するとのことです。従来のスロットイン式は、修理サービス向けであれば現状で調達可能だそうです。ただ、国内メーカー1社のみがアフターサービス用として供給しているので、調達できなくなった時点で、このサービスは提供終了となります。スロットイン型を選択しても、CDへの書き込みはできません。
修理の際の費用は、次の通りです。
1.現在のトレー式ドライブのまま修理する場合は、保証期間内は無償、保証修理以外は、20,000円(税別)
2.トレー式から以前のスロットイン式への交換は保証期間内か保証期間後かに関わらず、ドライブ修理料20,000円(税別)+カスタム修理サービス料
3,000円(税別)
トレー型の扱いに困っている方には修理でなくてもサービス可とのことです。

当事者の会からのご報告

福島県に歩行訓練士の採用を願って活動してこられた「歩行訓練と日常生活訓練を願う当事者の会」の齋藤正昭代表から下記のお知らせをいただきました。

にじの会会報をお読みの皆様、当事者の会から最後のご報告になります。
皆様のお力添えにより、今年度から福島県障がい者総合福祉センターに「歩行訓練士」が配置され、6月から本格的な在宅生活訓練がスタートしました。昨年と比べ、年間の在宅訓練の募集件数が倍増し一人当たりの訓練回数も充実して、丁寧な指導を受ける事が出来るようになりました。また、障害者手帳の有無にかかわらず「見えにくい・見えなくて困っている」全ての方が対象となります。
在宅生活訓練を希望される方は、各市町村の担当窓口までご連絡をお願いします。
これにより私ども当事者の会は、会発足の目的を達成し役目を終えて、5月末日をもちまして解散致しました。にじの会の皆様には、長きに渡りご支援頂き感謝申し上げ、略儀ではありますが解散のご報告と致します。(齋藤正昭)

短歌・俳句・川柳

柳沼友治さん(郡山市)
緑濃き里に浮かびぬ熱気球

菅野則夫さん(福島市)
顔マスク化粧手抜きで4か月

穴沢勲さん(会津若松市)
梅雨入りコロナ旋風封じ込め
終息つかず長いトンネル

武田栄子さん(福島市)
歩を止めて垣根越しに競い合う
シャクヤクの花にそっと触れたる

三浦寛さん(国見町)
また消える県都のシンボル中合も
時代の流れかそれともコロナ?

矢島秀子さん(南相馬市)
霧晴れて薔薇のつぼみの開く朝
子スズメ飛んで騒ぐ親鳥

谷田川正さん(郡山市)
梅雨明けて夏本番となりぬれば
両手(もろて)打ち羽(わ)は手旗の如く

小板橋順二さん(猪苗代町)
新コロナカタカナ言葉がティータイム
ファジーヘッドのアラート解除

宮崎英幸さん(福島市)
一世を風靡したりき「船頭可愛や」
聞きつつ昭和の郷愁つのる

山本敦士さん(伊達市)
この痛みなんとかしてという人に
笑顔を向けて細き鍼打つ

柳稲荷神社
福島市 宮崎英幸
待ち待ちしウォーキングに参加者の
いたく少なしコロナウイルスに
城下町の玄関口にありき柳町
偲ぶよすがの柳少なし
吾が町の八割焼失したりきといふ
出火の甚兵衛跡地おとなふ
荒川の大洪水に守護神と
今に祀らるる柳稲荷神社
ガイドボランティアと郊外歩むに聞こえきぬ
空気引き裂く葭切の声
マスクして休憩無しの九十分間
吾に厳しきウォーキングは

お知らせ
●「第55回NHK障害福祉賞 障害のある人と支える人の体験記録の募集」が届きました。障害福祉への関心や理解を広めるため、障害のある人自身の体験記録や障害児・者の教育・福祉の実践記録の募集です。 第1部門:障害のあるご本人の部門 学校や施設での生活、自立や就労への挑戦、また自分の生きてきた道など、自分自身の体験記録
第2部門:障害のある人と共に歩んでいる人の部門。教育・指導の実践、親と子の成長の記録、仕事や行事を通しての交流など、ともに生きてきた体験記
締め切り:令和2年8月14日(金)(当日消印有効) 応募規定:自作の未発表作品に限る。8000字以内。点字の場合は32マス×450行以内
賞:優秀賞1編(賞金50万円)、優秀賞2編(20万円)、佳作 若干(5万円)、矢野賞1編(20万円)
入選発表:11月中旬全応募者に結果通知
送り先・問合わせ:NHK厚生文化事業団「障害福祉賞」係 〒150-0041 東京都渋谷区神南1-4-1第七共同ビル 電話:03-3476-5955
ホームページ:https://www.npwo.or.jp/
にじの会に詳しい募集要項・応募票があります。
● サポートセンターは、8月11日(火)~17日(月)に夏季休暇とさせていただきます。8月9日(日)~17日(月)が休館となります。ご不便をおかけしますがよろしくお願いいたします。

坂下さんの 「私のおすすめ」

『汝、ふたつの故国に殉ず 台湾で「英雄」となったある日本人の物語』門田隆将著・・・1895年(明治28)、日清戦争で戦勝国となった日本は、下関講和条約により台湾を新しい国土として割譲されました。しかしそこは風土病が蔓延する化外(けがい)の地でもありました。日本政府は、日本内地と同等の民政を敷くことを目的に、最大限の財政・技術・人材を投入しました。児玉源太郎・後藤新平・明石元次郎・樺山資紀といった当時の最高頭脳を行政官として投入したことからも、その並々ならぬ決意を見て取ることができます。
とりわけ厳しい国際情勢の中、これからの台湾の未来を決するのは青少年の教育であるとして、日本国内から若き俊英・教育者を募り赴任させました。彼らの教育に対する情熱・精神は実を結び、識字率90パーセントという日本内地と全く変わらぬ、世界的にも驚異的な結果を出すに至りました。
そのような激動の中、1907年(明治40)日本人を父として、台湾人を母として一人の男児が誕生しました。坂井徳章(とくしよう)(台湾名:湯(とう)徳章)、父親の徳蔵は、幼い日に警察官として殉職、母親と姉の貧しい生活の中成長しました。そのような環境の中でも、明敏な頭脳と両親譲りのまっすぐな、くじけることを知らない人柄は失われることなく、全額国費による教育機関である師範学校へと入学します。その進むべき教育行政の中でも、日本内地から出向したものと台湾人の身分には、避けることのできない格差のあることを少年の鋭い感性は見逃すことなく捕らえていました。師範学校を躊躇することなく自主退学し、尊敬する父親と同じように警察官として奉職します。台湾人としては異例ともいえる警部まで立身出世します。しかしここでも、司法行政の巨大な組織の中で台湾人の人権を守り地位向上のために働くためには限界のあることを悟らざるを得ませんでした。
悩みぬいた末に、内地に渡り中央大学予科に法律を学びました。人に数十倍する努力と明晰な頭脳により、最終学歴小学校卒業でありながら、文官高等試験司法科はおろか、行政科にまで合格するという驚異的な結果をたたき出したのです。現在で言うならば弁護士資格と上級官僚資格を一挙に取得したことになります。そのまま日本国内で活躍するならば知識階級として完全にその身分は保証されました。
しかし初志貫徹。弁護士として帰郷し、台湾人の地位向上のために全身全霊を尽くして働きました。
1945年(昭和20)、大東亜戦争敗戦、ヤルタ会議の結果台湾は日本から独立することになりました。「祖国の胸に帰れ」蒋介石の言葉に台湾の人々はしばし酔いしれました。しかしまもなく駐留してきた中国軍を目の当たりにしたとき人々は呆然とし絶望することになりました。道徳・規律・秩序・礼儀、汚職や賄賂とは全く無縁であったそれまでの生活、日本人とともに築き上げてきた社会秩序は全て打ち壊されて行きました。
荒れ地を緑野と変え収穫された豊かな作物、産業を勃興させ生産された数多くの工業製品、それらは全て奪い去られました。そして日本人とともに高等教育を受けた人々は、ただそれだけの理由で、職場を追われ次々と殺戮されていったのです。
1947年2月27日、闇たばこを売っていた母子が中国人警官に殴打されました。それまで耐えに耐えていた民衆は暴発しました。建物の中と外、街路でにらみ合ったとき、台湾の人々は期せずして日本国歌 「君が代」を斉唱することにより、お互いを同胞として識別し、鼓舞しあったといわれます。蒋介石中国軍は、台湾全域に戒厳令を発するとともに、大量殺戮という暴挙に出ました。2・28台湾人虐殺事件です。
この時、坂井徳章は蒋介石軍に弾圧の口実を与えないためにも、台湾の未来を託さなければならない若者・学生たちの命を守るためにも、説得し反乱のための武器を回収しました。これに対して蒋介石軍は、坂井徳章が日本人であると言うことで逮捕しました。反乱を先導した若者・学生たちの名前を白状させるために苛烈な拷問を加えましたが、徳章は、若者・学生を守ることを心に決め最後までその名を秘したと言います。そして一人、罪を追わされ銃殺されるとき、「私を木に縛る必要は無い、目隠しも必要は無い、なぜなら私の体の中には大和魂の血が流れているからだ」と台湾語で叫び、最後は日本語で「台湾人万歳」と叫んだと言われております。この徳章の壮絶な最後を台湾の人々は決して忘れることなく語り継いできました。そして50年後、台湾の民主化が実現したとき処刑場は「湯徳章記念公園」となりました。さらに2014年には、その命日、1947年3月13日(40歳没)が「正義と勇気の日」として制定されたのです。
本書は日本と台湾で同時に出版され、今多くの人々に読み継がれています。(点訳・音訳あり)

お問い合わせ先

特定非営利活動法人にじの会


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福島市西中央2丁目23-1
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